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天国行きのエレベーター

227 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:42
東京近郊のとある駅には、気味のよくない噂があるんだそうです。
正確にいうと、駅のエレベーターに。
目立たない、死角にあるそのエレベーターに乗ろうとボタンを押すと、
ガラス張りの窓がついているから、箱が降りてくる様子がよく見える。
まず目に入るのは暗い縦穴であり、音もなく降りてくるケーブルの一部だ。
その一瞬だけ見えるケーブルに、なにやら黒いものが乗っているというのである。
人影が、だらりとぶらさがっていることもあるという。
この問題のエレベーターは、それとすぐわかるのだそうだ。
いつ誰が書いたのか知れないけれど、
コンコースの方にもホームの方にも、一方のボタンの字が刃物のようなもので刻み消されていて、
かわりに『天国行き』と記されているそうだから・・・。


228 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:43
普段はこのエレベーターを利用しないある高校生が、たまたま脚を怪我していて、
このエレベーターを利用しようとしたそうだ。
彼は刻み込まれた『天国行き』の文字を、「ふん」と鼻でせせら笑い、ボタンを押した。
下から内箱がせりあがってきた。
当たり前といえば当たり前だが、箱の上部には何も乗ってなどいない。
数秒の間を置いて、内側の窓と外側の窓が重なる。
そして、中には一人、学生服の少女が、隅の方でうつむいて立っていた。
やせて体の細い少女だ。とても細い・・・。
あれっと、彼は初めていぶかしいものを感じた。
箱はすでにホームに到着している。なのに、外側の扉が開かないのだ。
いつまでたっても。数十秒。いや、もう一分は確実にすぎている。
そうして、彼の前で停止したまま微動だにしないエレベーターのなかには、少女がただ一人、乗っているのだ。
つまりこれは、密室に閉じ込められているということになるのではないか。


229 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:44
・・・彼は、脚の痛みを忘れ始めていた。
誰か呼んでこなくちゃと、いったんは駅長室の方に向きかけた彼の体を、
心のなかのもう一人の自分がとどめてこう言った。
いや、待てよ。ひょっとして、ささいな操作ミスかもしれないじゃないか?
どこかのボタンを押すだけですむような。
もしそうだったら、どうする?
何人も駅員が駆け付けてきたときに、エレベーターはどうということもなく開いていて、
中の女の子もどこかに行った後だったりしたら・・・
だいたい、中の女の子は、どうして何もしようとしないんだ?
開閉のボタンを何度も押して試してみるとか、事故のときに通報するインターフォンとか、
いろいろできるはずだろ。
彼はいらだちに似たものを感じるのだった。
そう。窓から見える少女は、先程から微動だにしない。
すでに五分近く扉を開けようとしない。
エレベーターの中で、パニックに陥って取り乱す様子もなければ、不安げな態度すら見せようとしない。
いや、そもそも表情からしてまったくわからない。
なにしろ、長い黒髪がばさりと顔の前にたれていて、しかもうつむいている。
表情だけではない。そもそもどんな顔つきなのかも。
最初に彼が見てとったそのとおりに、箱の片隅に背中を預けて、じっと身じろぎもせずに立っているのである。


230 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:44
こうこうとした照明がつくりあげている、じんわりとした影に見紛うほどだ。
どうかすると、その輪郭が滲んで見えさえする。そんな気さえする・・・。
体調が悪いんじゃないのか?あの子?
それなら、少女が動かないの不思議はない。
誰だって、狭いエレベーターに閉じ込められれば気分が悪くなるだろう。
ほんの数分で一歩も歩けなくなるかどうかは疑問だが、現に目の前の少女はそうなっている。
ひょっとしたら、乗り込んだ時点で発作のようなものが起こったのかもしれない。
こうしちゃあいられない。
今度こそ彼は、体をひるがえそうとした。
一刻を争う状況であったなら取り返しがつかない。・・・が。
・・・・・・バンッ!
彼を再度とどめたのは、破裂音にも似た大きな音だった。
首をねじ向けると、ガラス一杯に真っ黒な何かが広がっていた。


231 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:45
「き。くっ」と、彼はしゃっくりに似た声をあげた。
息が、喉の途中でつまったのだ。
それは、とぐろを巻いた大量の黒髪だった。
髪の毛が、エレベーターの内側の窓に押し付けられているのだ。
そして、手の平。何か濡れいるみたいな・・・
あるいは、なめくじが這った後に残す粘液のような・・・跡を窓の上の方に残して、
右手の手の平も、またガラスに押し付けている。
彼がエレベーターから目をはなしたのは一瞬であった。
その一瞬の間に、エレベーターの中の少女が箱の片隅から移動して、
強化ガラスのはまった窓に、顔面と手の平を押し付けたのだ。
いや、叩き付けたのだ。
今の破裂音は、その衝突音に間違いない。
けれども、たとえ心臓発作かなにかに襲われたとしても、
また、密室化したエレベーターという異常な状況下で、パニックに陥ったとしても、
人はそれほどまでにすさまじい勢いで、自分の顔面を叩き付けることが可能なのか?
それも、いままでぴくりとも動かなかった者が、
壊れたビデオの早回しさながら、途中の時間を省略したかのような異様な早さで?
・・・とっさに彼は、そこまで考えたわけではない。
ただもう、判断のための冷静さというものを奪われて、呆然としていたというのが本当のところだったろう。
倒れ込んできた。こっちに。大変だ。


232 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:45
ガラスに顔面を押し付けられているにもかかわらず、依然として顔は見えなかった。
見えるのは、ただうずを巻いている異常なほどの量の髪の毛だけだ。
いや、手の平は見える。はっきりと見える。
およそ血の気というもののない白い手の平。
それがゆっくりと動いている。そこだけが動いている。
幼稚園の頃のお遊戯。
『むすんで、ひらいて』さながら、握っては開くのをただ繰り返している。
むすんで、ひらいて、またむすんで・・・。
彼にはそれが、自分を呼んでいるように思えた。
きてくれと。切実に。声なき声で。
「だ、大丈夫?」
二枚の強化ガラス越しで、もとより聞こえるはずはない。
それでも思わずそう呼びかけながら、彼は一歩を踏みだした。
それから、さらに、もう一歩・・・。
・・・・・・ぐぐっ!!


233 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:46
「うわ!」
彼はものすごい力で後ろに引き戻されていた。
間髪を入れず、耳をつんざく警笛がとどろいた。
ぷあぁぁぁぁん!!--------------------ごーーっ!!
列車が目の前を通り過ぎてゆく。
まきあげられる髪。殴り付けるみたいに額にあたる風。
この駅を通過する特急列車だった。
彼はもう少しで、その鼻面に飛び込むところだったのである。
「ええっ…ああ……?」
彼は、わけがわからなかった。
だってそうではないか。 自分はずっとエレベーターに向かいあっていたのだから。
それが、何だってホームから、投身自殺の真似事をしなければならないのか?


234 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:46
特急列車に衝突した場合、人間は部品しか残らない。
即死するのはほぼ確実だが、血しぶきが霧みたいに降り注いだ後は、脊髄の一部や指先、
原形をとどめたりとどめなかったりする臓物、
皮膚や骨がところどころ・・・といった風に、残骸と化してしまうのである。
やっとの思いで上を見ると、そこには苦虫を噛み潰したみたいな顔の駅員が立っていた。
おそらくは、厄介な自殺未遂者と自分のことを考えているだろうその駅員に、
彼は身振り手振りまじえて、何とかいきさつを説明した。
すると駅員は、やはり苦虫を噛潰したみたいな顔のまま、背後のエレベーターを指し示した。
・・・エレベーターの中は暗かった。いや、真っ暗である。
こうこうとした照明も、ガラスに顔面を押し付けた少女の姿も何もない。
いや、そもそもエレベーターは、ホームになど到着などしていなかった。
彼はふらふらとよろめきながら、今度こそ間違いなくエレベーターに近寄っていった。
自分は、最初から何もない暗闇に向かって、気をもみ、顔色を変え、声をかけていたとでもいうのか。


235 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/01/20 06:47
そんなはずは、ない。けっして、な。
たしかにエレベーターは到着していたのだ。少女が乗っていたのだ。
ソレナノニ……
あたかも彼を嘲笑うかのように、うつろな口を開けている暗い縦穴。
そこから不意に風がわきおこって、顔にあたってくる気がする。
分厚いガラス越しに、そんなことがあるわけはないのに。
風の中に、つぶやきのようなものがまじっている気がした。
女の、けたたましい笑い声のようなものも・・・。

今日も『天国行きのエレベーター』は稼働しているはずである。
誰が記したのかはわからないが、そこには確かに行き先として天国の名があげられている。
必ず行けるとは限らないが、行きたくなくても行くことになる可能性は・・・ある。
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